１９（３）ファリアの信仰

2-19-3-1ファリアには、その腕をつかんで、押し止（とど）めるだけの力があった。2-19-3-2「しずかに！」と、老人は言った。2-19-3-3「でないと、万事休（ばんじきゅう）すだ、これからは、あなたのことを考えよう。2-19-3-4この牢獄の生活をして暮らしよいものにするか、それとも脱獄のことを考えるか。2-19-3-5わしがここでやったことを、あなた一人でやり直すとなったら、おそらく何年という月日（つきひ）を必要としよう。2-19-3-6しかも、二人の行き来（いきき）に監視の者が気づいたが最後（さいご）、たちまちすべてはくつがえされる。 2-19-3-7もっとも、安心されるがいい、わしがいなくなった監房は、そのまま長くは空（あ）いていまい。2-19-3-8不幸な誰かがやってきて、またわしのいたところにはいるだろう。2-19-3-9おそらくあなたとおなじように、若く、強く、辛抱（しんぼう）づよい一人の男が。2-19-3-10おそらく、あなたにとって脱獄の助けになるだろう。2-19-3-11わしはむしろ、その妨（さまた）げをしてきたのだ。2-19-3-12これからは、あなたの体にからみつき、あなたの活動の邪魔（じゃま）をしてきたこの半分（はんぶん）死骸（しがい）のわしというものがなくなるのだ。 2-19-3-13神はまさしく、あなたのため、なにかしてやろうと思っておいでだ。2-19-3-14あなたから取りあげた以上のものを、お返しくださろうというわけなのだ。2-19-3-15そして、わしには、いまこそ死ぬべきときがきたわけなのだ」。 2-19-3-16ダンテスは、ただ手を合わせて、こう叫ぶよりほかになかった。2-19-3-17「おお！もうそんなことはおっしゃらずに」。2-19-3-18そして彼は、この思いがけない驚きに一時（いちじ：いっとき）失われていた力、老人の言葉にしばらく打ちくだかれていた勇気を取りもどした。2-19-3-19「おお・・・・前にも一度お助けしました。2-19-3-20も一度、きっとお助けします！」。2-19-3-21こう言いながら、ベッドの脚（あし：きゃく）を持ちあげ、赤い液がまだ三分の一（さんぶんのいち）ほども残っていた例の薬瓶（くすりびん）を取り出した。 2-19-3-22「御覧ください」と、彼は言った。2-19-3-23「まだ霊薬（れいやく）が残っています。2-19-3-24さ、早く、早く、今度はどうしたらいいかお指図（さしず）ください。2-19-3-25なにかべつの使用法でもありましょうか？2-19-3-26おっしゃってください」。2-19-3-27「もうだめだ」と、ファリアは、首を左右（さゆう）にふりながら答えた。2-19-3-28「だが、そんなことはどうでもいい。2-19-3-29神は、みずからのお創りになった人間−−−その心のなかにこうまで深々と命の愛を根ざさせたもうた人間が、たといどんなに苦しかろうと、貴いこの命を飽くまで保っていこうとするのをお喜びになっておいでなのだ。 2-19-3-30「おお！そうなのです、そうなのです」と、ダンテスは叫んだ。2-19-3-31「わたしは必ずお助けします。2-19-3-32必ず！」。2-19-3-33「よろしい。やってみるがいい！2-19-3-34体がだんだん冷えてくる。2-19-3-35血が頭にのぼってゆく。2-19-3-36歯をカチカチいわせて、まるで骨（ほね）が放（はな）ればなれになるような恐ろしい身ぶるいが体中（からだじゅう）をふるわしはじめた。2-19-3-37五分（ごふん）もすれば発作（ほっさ）が起ころう。2-19-3-38十五分すれば、わしは死骸（しがい）になっていよう」。 2-19-3-39「おお！」と、ダンテスは、悲痛（ひつう）にたえきれず声をたてた。2-19-3-40「前のようにしてくれたらけっこうだ。2-19-3-41ただし、あれほど長く待たんでいい、いま、命（いのち）の弾力（だんりょく）はすっかり擦（す）り減（へ）ってしまっている。2-19-3-42そして死は、」と言って、老人は、麻痺（まひ）し尽（つく）した腕（うで）と脚（あし）とを見せながら、「あと半分（はんぶん）の仕事（しごと）をすればたくさんなのだ。2-19-3-43十滴（じゅってき）の代りに、十二滴飲（の）ませてもらおう。2-19-3-44それでも正気（しょうき）にかえらなかったら、残りをすっかりつぎこんでもらおう。2-19-3-45さ、ベッドへ体を運んでくれ。2-19-3-46このまま立ってはいられないから」。

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引用者：2016/7/6　（笹倉宗）聖母マリヤ福音教会
通称「オリジナル教会」　初代代表者　笹倉正義