１９（２）発作の兆候

2-19-2-1こういうふうにして、二人の囚人にとっては、ひきつづく幾日（いくにち）かが、たとい幸福な日々（ひび）ではないにしても、少なくもかなり速（すみや）かに流れ去ってくれたのだった。2-19-2-2あれほど長い年月（ねんげつ）のあいだ宝について沈黙（ちんもく）を守っていたファリアは、いまや折（おり）に触（ふ）れ事（こと）に触（ふ）れてそのことを語り出した。2-19-2-3彼自身（かれじしん）予言（よげん）していたように、彼の右腕（みぎうで）と左足（ひだりあし）とは、いまやまったく麻痺（まひ）してしまっていた。 2-19-2-4彼には、宝をわが物にするという希望も、ほとんど持てなくなってしまっていた。2-19-2-5そして彼は、青年のため、絶えず自由や脱獄のことを考えてやり、それを青年のためにしてやることを喜んでいた。2-19-2-6手紙が見えなくなったり、或いは失われたりすることを恐れた司祭は、ダンテスに迫（せま）ってそれを諳誦（あんしょう）させた。2-19-2-7そして、ダンテスは、その最初の一字から最後の一字までも覚（おぼ）えてしまった。2-19-2-8彼は、その第二の部分を破り捨ててしまった。 2-19-2-9こうしておけば、たとい第一の部分が見つけられ、没収（ぼっしゅう）されたにしても、まことの意味はとてもわかりようがないからだった。2-19-2-10またあるときは、ダンテスに向かって、何時間となく、いろいろな注意を与えた。2-19-2-11それこそは、ダンテスの身が自由になるであろうとき、必ず役にたつところの注意だった。2-19-2-12すなわち、自由になれたその日、その時、その瞬間から、だだ一つのことしか考えてはならぬというのだった。 2-19-2-13それは、方法（ほうほう）の如何（いかん）はともかく、モンテ・クリスト島に出かけること、人の疑いを招くことのないような口実（こうじつ）をもうけてそこに一人でふみとどまり、ふしぎな洞穴（どうけつ）を見つけ出し、示された場所を探し出せというのだった。2-19-2-14示された場所、それこそまさに、第二の入口の一番奥まった片隅（かたすみ）だった。 2-19-2-15なにはともあれ、速かにとは言えないまでも、どうにかがまんのできる時が過ぎていった。2-19-2-16前にも言ったとおり、ファリアは手足（てあし）の自由を回復（かいふく）することができなかった。2-19-2-17だが、ふたたび頭脳の冴（さ）えは回復されて、彼は、ダンテスにいままで詳細（しょうさい）に教えてやった精神的な知識のほかに、少しずつ、囚人による気長（きなが）な、そして崇高（すうこう）な仕事、無（む）より何物（なにもの）かを作り出すすべを教えてやった。 2-19-2-18こうして二人は、絶えず仕事にいそしんだ。2-19-2-19ファリアはみずからの老（お）いてゆくのを忘れるため、そしてダンテスは、いまやほとんど消えかけているみずからの過去、さも闇（やみ）に迷う遠い灯（あかり）とでもいったように、わずかにみずからの記憶の底ふかく揺（ゆ）れているその過去のことを忘れるために。2-19-2-20すべてはこうして、不幸にあっていささかも乱されず、あたかも、神のみそなわす日（ひ）の下（もと）に、機械的に、しずかに流れ去る生活とでもいったように過ぎていった。 2-19-2-21とはいいながら、こうして表面に見える平静のかげには、青年の心のうちにも老人の心のうちにも、おそらく数多くの抑えられた欲望、数多くの押し殺された溜息がひそんでいたに違いなかった。2-19-2-22それは、ファリアが一人になったとき、またダンテスが自分の室に帰ったとき、はじめて表面にしめされたのだった。 2-19-2-23或る晩（ばん）のこと、ダンテスは、自分の名を呼ばれたように思って目を覚ました。2-19-2-24彼は目をあけて、深い闇のなかを見すかそうとした。2-19-2-25自分の名、というよりは自分の名を呼ぼうとしている、訴（うった）えるような声が聞こえた。2-19-2-26彼は、額（ひたい）に不安（ふあん）の汗（あせ）を感じながら、ベッドから起きあがった。2-19-2-27そして、聞き耳をたてた。2-19-2-28訴えの声は、たしかに老人の監房から聞こえていた。 2-19-2-29「しまった！」と、ダンテスはつぶやいた。2-19-2-30「もしや？」。2-19-2-31彼は、ベッドを『ずら』し、石を引き出し、穴のなかへ躍りこんだ。2-19-2-32そして、向こう側まで行き着いた。2-19-2-33敷石は、すでに上げられていた。2-19-2-34前にも言った、あの灯（あかり）かげのゆらぐ妙（みょう）な形のランプの光に透（す）かして見ると、ベッドにしがみついて立っている蒼ざめた顔の老人が見えた。2-19-2-35顔のようすは、前にも見たことのあるあの恐ろしい徴候（ちょうこう）、はじめて見たとき、あれほど彼をおどろかした徴候のため、見分けもつかないものになっていた。 2-19-2-36「おお！」。ファリアは、あきらめきってこう言った。2-19-2-37「おわかりだろうな？2-19-2-38いまさら何も言うことはないのだ！」。2-19-2-39ダンテスは、思わず悲痛な叫びをたてた。2-19-2-40そして、心はまったく動転（どうてん）し、扉口（とびらぐち）のほうへ駈（か）けよると、2-19-2-41「誰（だれ）か！誰かきてくれ！」と、声を立てた。

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引用者：2016/7/6　（笹倉宗）聖母マリヤ福音教会
通称「オリジナル教会」　初代代表者　笹倉正義