２６（３）馬に乗った司祭

2-26-3-1カドルッスが家のなかにはいったときには、さっきも話した広い街道（かいどう）、彼の目がながめ渡していたその道の上は、まるで真昼（まひる）の砂漠（さばく）とでもいったように、まったく人通（ひとどお）りが絶（た）えてひっそりしていた。2-26-3-2道は、痩（や）せ細った二列の並木（なみき）のあいだを白く無限（むげん）に走っていた。2-26-3-3自由に、適当な時間を選んで旅行のできる旅人だったら、わざわざこうしたおそろしいサハラ砂漠のなかなぞへ足をふみこんだりしないであろうことは、いまさら言うまでもないことだった。 2-26-3-4だが、たとい十中（じゅっちゅう）の八九（はっく）そうでもあっても、もしカドルッスにしていつもの場所にいたのだったら、ベルガルドのほうから、一人の騎手（きしゅ）と一頭（いっとう）の馬とが、乗り手と馬とがピッタリ合って、さも信じきっているような親（した）しみのある足どりで、こちらを指してやってくるのが目にはいったにちがいなかった。2-26-3-5馬というのは去勢（きょせい：動物の雄の睾丸を取り除くこと）馬で、愉快（ゆかい）そうに『だく（はいはいと人に従う）』をふんでいた。2-26-3-6乗り手は一人の司祭、ちょうど正午（しょうご：昼の十二時：まひる）になって、燃えつくような日の光にもかかわらず、黒い衣（ころも）を身につけ、頭には三方（さんぽう）に角（つの）のついた帽子をかぶっていた。2-26-3-7馬と人とはかなりな速度（そくど）で進んでいた。 2-26-3-8戸口の前までくると、馬と人とは立ち止まった。2-26-3-9馬が人を止めたといおうか、人が馬を止めたといおうか、それを区別することはむずかしかった。2-26-3-10が、なにしろ人は馬から下（お）り、その馬の手綱（たづな）を引っぱりながら、いまは毀（こわ）れてしまってただ一ぽう（いっぽう）の肱金（ひじがね）だけで止められている窓の扉の留金（とめがね）に縛（しば）りつけに行った。2-26-3-11それから、赤い木綿（もめん）のハンケチで汗の流れる額の上を払いながら戸口のほうへ歩み寄り、手にもっていた、さきに鉄のついた杖（つえ）で三度（さんど）閾（しきい）の上を叩（たた）いた。 2-26-3-12たちまち、黒い大きな一頭の犬（いぬ）が立ちあがった。2-26-3-13そして吠（ほ）えたてながら、白い尖（とが）った歯をむき出して幾足（いくあし）か前へ進み出た。2-26-3-14この反感に満ちた二つの挙動によっても、この犬があまり人馴（ひとな）れしていないことが見てとれるのだった。2-26-3-15重い足音（あしおと）が、壁に沿っている木の階段を揺り動かした。2-26-3-16そしてその階段から、いまその戸口に司祭が立っている旅籠屋の亭主が、体をかがめ、うしろ向きになっておりてきた。 2-26-3-17「いらっしゃいまし！」。カドルッスはすっかり驚（おどろ）いていた。2-26-3-18「いらっしゃいまし！2-26-3-19こら、黙らないか、マルゴダン！2-26-3-20いえ、なに、こわくはございません、旦那（だんな）。2-26-3-21吠（ほ）えはいたしますが噛（か）みついたりはいたしませんから。2-26-3-22あの、葡萄酒（ぶどうしゅ）でございますか？2-26-3-23いやなんともべらぼうなお暑（あつ）さでございまして。2-26-3-24・・・・や、失礼いたしました」と、カドルッスはその旅人が誰であるかを見て取って言った。2-26-3-25「失礼いたしました。2-26-3-26ついどなたさまかわからなかったものでございますから。2-26-3-27なにをさしあげましょう、なにが御所望（ごしょもう）でいらっしゃいます、司祭さま？2-26-3-28なんなとおっしゃてくださいまし」。 2-26-3-29司祭は、ふしぎなほどの注意をこめてニ三（にさん）秒（びょう）男の顔を見つめていた。2-26-3-30それが、さも自分のほうに、亭主（ていしゅ）の注意を惹（ひ）きつけようとしてでもいるように思われた。2-26-3-31だが亭主の顔には、返事のないのに呆（あき）れているというより以外に、なんの表情も浮かんでいなかった。2-26-3-32それを見ると、司祭は、驚かすのもまずこれくらいにしておこうと思ったらしく、いかにもまるだしなイタリーなまりでこう言った。2-26-3-33「あなたはカドルッスさんじゃありませんか？」。

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引用者：2016/8/27　（笹倉宗）聖母マリヤ福音教会
通称「オリジナル教会」　初代代表者　笹倉正義