（５）老ガリレオ

5-1それから三十七年の歳月が流れた。5-2イタリヤはほとんどスペインの属領に近い無力な存在になっていたが、5-3文化的にはなお他国の追随（ついずい）を許さぬ大国で、5-4ヨーロッパ各地から5-5イタリヤの学芸に憧（あこが）れる若い美術家や詩人や学者が留学に訪れた。5-6英国の詩人ジョン・ミルトンもその一人であった。5-7後年（こうねん）大作（たいさく）「失楽園」で不朽（ふきゅう）の名声を得るミルトンも、5-8この頃はまだ無名で、5-9彼を一人前（いちにんまえ）の詩人に育て上げるために、5-10父親がイタリヤ留学の費用を工面（くめん）してくれたのである。5-11フランスでもドイツでも英国でも、5-12イタリヤ帰りということで経歴に箔（はく）のつく時代がまだ続いていた。 5-13ミルトンはローマやフィレンツェの名所（めいしょ）旧跡（きゅうせき）に遊び、5-14美術や音楽を嘆賞したが、5-15彼にはどうしても会ってみたい人があった。5-16異端審問所の厳しい断罪を受けて、5-17フィレンツェ近郊（きんこう）アルチェトリの自宅に拘禁（こうきん）されている科学者ガリレオ・ガリレイである。5-18五年前の裁判で、5-19ガリレオは自己（じこ）の学説の放棄を強制され、5-20著書を禁書とされ、5-21厳しい監視のもとに毎日懺悔（ざんげ）の聖詩七編を朗唱（ろうしょう）させられることになった。 5-22近所の散歩ぐらいは大目に見られたが、5-23丘の上のこの村から見下ろせる懐かしいフィレンツェの町には、5-24足を向けることが許されなかった。5-25近代自然科学の基礎を築いたこの不滅の天才の名は、5-26あまねく全欧に鳴り響いており、禁書となった彼の著書も、5-28新教国オランダの出版社で公刊（こうかん）されて、5-29広く読まれていた。5-30「フランチェスコ会やドメニコ会の審問官の考えと違う天文学説を持ったというただそれだけの理由で」5-31この老齢の大学者を残酷に弾圧する不条理は、5-32どの国の知識人にも納得できぬことであり、5-33ことにミルトンは熱心なピューリタン、5-34すなわち英国カルバン派の一員であったから、5-35ガリレオ裁判は義憤の対象でしかあり得なかった。 5-36ミルトンが囚われのガリレオを訪問したのは初秋（しょしゅう）九月。5-37ミケランジェロの死と前後して生（せい）を享（う）けたこの科学者は七十三歳、5-38白内障（はくないしょう）を患（わずら）って右眼はすでに失明、5-39左眼の視力もまったく衰えて、5-40夜空に星を見ることもできなくなっていた。5-41「私が千倍にも広げたこの宇宙が、5-42今は私の内面の小宇宙にまで縮まってしまった。5-43だがそれが神の御心（みこころ）にかなうのなら、5-44私も喜ばねばなるまい」と彼は言った。 5-45眠られぬ夜が続くと、5-46リュートを演奏してわずかに心を慰めた。5-47しかしそれも、耳が聞こえるからこその楽しみで、5-48この頃（ころ）彼の聴力（ちょうりょく）も減退し始めていたし、5-49関節炎（かんせつえん）にも悩まされた。5-50異端審問所の判決は無期禁固だったから、5-51死ぬまで蟄居（ちっきょ：閉じこもって外出しないこと）謹慎（きんしん）の生活から解放されることはないのだった。 5-52弟子たちは何度も教皇宛に師の赦免（しゃめん）を嘆願（たんがん）したが、5-53かつてガリレオの友人であったはずの教皇ウルバヌス八世は、5-54イエズス会の勢力に気兼ねしてか、5-55首を縦に振らなかった。5-56ガリレオの主君で5-57この天才を自分の宮廷の誇りにしていたトスカーナ大公メディチは、5-58さわらぬ神に祟（たた）りなしを決め込んで、5-59知らぬ顔をしていた。 5-60ガリレオ自身は「私は罪を犯していないのだから赦免（しゃめん）を嘆願することはない、5-61間違った判決を下した者がそれを取り消し、5-62名誉を回復しなければならないのだ」と言って、5-63一度も赦免嘆願を出さなかったが、5-64死ぬまでにもう一度花の都フィレンツェに行ってみたいという望みは年々強まり、5-65フィレンツェの教会でミサを受けたいという嘆願書は出していた。 5-66ミルトンは、5-67彼の科学説は充分に理解できなかったようだが、5-68反宗教改革がイタリヤ文化そのものを窒息（ちっそく）させつつあることは明瞭に理解し、5-69それを心に刻み込んで、5-70暗然と帰路についた。 5-71翌年春やっと老科学者は5-72監視付きでフィレンツェに出ることを許された。5-73娘の腕に支えられて、5-74手探りしながら街を歩いたが、5-75もう視力は完全に奪われていて、5-76何も見えなかった。5-77一方、ミルトンは祖国の情勢急変の報を受け、5-78留学を中断して帰路の途（と）についていた。5-79英国ではピューリタン革命が始まろうとしていた。

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謝辞ミチオ・自己研鑽資料

2014/9/1、2016/2/11 （笹倉宗）聖母マリヤ福音教会代表　笹倉正義 通称：「オリジナル教会」　「ささくら修道会」 2017/2/21