ローマ帝国の貴婦人とルカ

 
処刑された人々の声から開放され、すっかり良くなった貴婦人は、老医者から聞いた処女受胎の不思議な物語をとても自分一人の胸にしまっておくことができず、女友達に話した。彼女の友達たちは、キリスト教徒の処刑を見物した自分たちも許してもらいたいので、ぜひその医者に来てもらえるよう頼んでほしいと言うのだった。そこでまた、かの医者が呼ばれた。医者は、今度は数名の若い助手たちを連れてきた。医者の見習いをさせているということだった。

婦人たちは、医者の話を何度も聞くうち、イエスの母のマリヤがなぜ聖母なのかを理解するようになっていった。イエスが世々にわたり神と自分たちの仲介をしてくれる大祭司キリストとなるために、罪の杯を飲み、十字架にかけられ、三日目に甦られたが、それは神の子でなければならなかった。ギリシャ神話にゼウスが人間の女に手をかけて、子を産ませる話があったが、寓話だと思っていた。神の子を宿すことが、特にユダヤの女にとって、どんなに過酷なことか、婦人たちにもわかった。

また、先ごろ斬首されたと聞くパウロという人は、結婚は神聖なもので、性器からの欲望が抑えられないのなら罪を犯さぬように一人の女と結婚するがよい、と言ったとか。夫をはじめとして、ローマの男どもは占領した国の女たちを奴隷として買いあさり、男性器のおもちゃにしている。今までは男とは皆そういう者だと思っていたが、キリスト教の「姦淫の罪」の深さを知った今では、それは神の前に不自然なことだとわかってきた。夫に言ってやろう、「わたしは（イエス・キリストの名において）あなたの罪をゆるしてあげます」。

上流階級の男たちがこぼしはじめた。この頃、どうも妻の様子がおかしい。いままでは、化粧とおしゃべり好きの、ただの人形だった妻に魂が宿ったようで、どうも勝手がちがう。以前は奴隷女の身体の話をすると、嫉妬する様子を見せたが、今はやんちゃな子供を見る母親の目でみられている気がする。それに、女友達のところに遊びに行くといって、ときどき外出しているようだ。また、召使たちが自分よりも妻を尊敬しているように見えてしかたがない。どうもおかしい。

そこで、貴婦人たちの気の病をいやしたという医者の情報が集められた。レポートはおよそこのような内容だった。当該の医者は、年齢およそ７０歳、ギリシャ人で、ユダヤの百卒長のしもべであったが、家族のいない百卒長はしもべを解放奴隷にし、またローマの市民権まで買ってしもべに与えている。皇帝に上訴したパウロに同行してローマにきたが、持病を持つパウロの主治医として付き添ってきたことになっている。現在も医者であって、政治、宗教活動はしていないようだ。長い間ユダヤにいたので、婦人との話題がどうしてもその頃の話になる、年のせいもあるかも知れないと、医者の助手たちは答えた。そのルカという名前の医者は、すでに老人であるし、特に注意して行動を監視する必要はない、と結論付けてあった。

このように、キリスト教徒集団処刑の見世物がローマの上流社会の貴婦人たちに与えた影響は大きかった。それまでは、人形の暮らしをしていたローマ帝国の貴婦人たちが、キリスト教徒の礼拝に参加する時が来るなどということは、誰の脳裏にも浮かばなかったことだった。ここにきて、どれいたちの間に広まったキリスト教は、女主人の庇護を受けることになったのである。そして、彼女たちは今、呼び求める者を見出し、賛美して言う。「聖母マリヤ様、夫の罪をゆるしますので、どうかわたしの罪もゆるしてください。イエス様の御名によってお祈りします。アーメン」。

このとき、老ルカは、パウロの手紙を思った。
ローマ人への手紙10-14しかし、信じたことのない者を、どうして呼び求めることがあろうか。聞いたことのない者を、どうして信じることがあろうか。宣べ伝える者がいなくては、どうして聞くことがあろうか。10-15つかわされなくては、どうして宣べ伝えることがあろうか。
 
 
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