火野葦平「戦争犯罪人」より
１３．釈放運動

すがもの戦犯の人数
（Ｐ３４４）次いで、八月八日、マヌス島から豪州戦犯百六十五名が送還されて来た。巣鴨には百四十名が入れられた。かくて、正門に、ＳＵＧＡＭＯ・ＰＲＩＺＯＮという外国文字のかかげられた牢獄の中で、戦犯と名のつく人たちは八百名を越えた。


釈放運動が困る者
（Ｐ３５３）「森君、だんだんスガモは陰惨になるばかりなんだよ。エゴイストだらけになつてしまつた。無論、立派な人もたくさんいるが、その人たちの力では現在のスガモの濁流は押しとどめようがない。その癌は釈放問題にあると僕は考えているんだ。むずかしい問題だ。誰もが早く釈放されたがつているし、中には人を押しのけて早く出ようと策動している者もある。僕らは即時に全面釈放してもらうことを主張しているけれども、おかしな話だが、これに賛成でない者もあるんだ。表面から反対することは出来ないので、釈放運動に熱心な仲間を恨む始末だ。君、鯉野幸蔵をおぼえているかね」。「いますとも。あのいやらしい奴、どうしとりますか」。「それが釈放を好まぬ張本人なんだ。僕にむかつて−−−貞村君や、頼むからあんまり釈放々々というてくれんなよ。・・・・なんて、毎日のように僕を責めるんだ。実際問題として、今すぐ釈放されたら困る人も少なくないんだ。

鯉野老人の場合
鯉野なんか、このごろ青山辺のどこかに部屋を見つけて、妾みたよな女にマージャン屋をさせてたいそう儲けとる。だが、彼はここにいた方がええんだ。食費つきで無料というアパートなんて、このスガモ以外にどこにもないからな。他にもここにいるということが一家族の生活の重大要素となつている者がある。そういう人たちは釈放を迷惑に考えている。

森君、君がいたときとは変ったよ。あのころ、共同の目的のもとに結束していた人たちが、今はてんでんばらばらになつてしまつた。君が今帰って来たとしても、きつとあのころのように住み心地はよくないだろう。僕は、ときどき、もう一度みんなが死刑囚に逆もどりさせられるとええな、と思うことがある。いや、冗談じゃない。僕自身がそうなりたいんだ」。貞村洋一は唇を噛んだ。そして、つづけた。

「釈放運動というのはどうも僕には卑屈に思われてならん。減刑とか釈放とかいうのは罪を肯定した上での話じゃないか。いわば枝葉末節だ。もつと根本にさかのぼつて、戦争裁判そのものの全面的否定というところから出発しなくては、真の解決は得られんよ。僕はこのごろそう思うようになつた。釈放運動というのは−−−悪いことをいたしました。改心いたしましたから、罰をゆるめてなるべく早く外に出して下さい。・・・・と、ペコペコ頭を下げているようなもんだ。

中国戦犯やソ連戦犯が釈放されたとしても、有罪のままなんだ。罪は消えてはいない。しかし、−−−罪なんかない。戦争裁判の結果あたえられた判決は罪ではない。戦争裁判などというものは全然認めない。・・・・そこから出発しなくては僕らの抵抗も闘争も無意味になるんだよ。といつて、日本政府や刑務当局はてんで頼りにならないから、僕ら自身の力でやる以外にはないんだ」。「わかります。私もそう思います。だけど、それは具体的にはどうやつたらいいのでしょうか」。
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2012/3/16　笹倉キリスト教会　笹倉正義